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リブ・ストーリー Vol. 131   2003/4/16 (水)掲載 晴れ

雑学〜サクラと芝居


  「サ神信仰」

 かつて古代日本には山の神で『サ神』という神があり、福島県・山形県・新潟県の山地狩人仲間では、現に山の神を 『サガミ様』と、呼称しています。

 昔の人たちは、山の峠を越えるときには、その山神に向かって手を合わせて無事を祈願したり感謝したりしました。
そこで、テムケ(手向け)→タムケ(手向け)→タウゲ→トウゲ(峠)と、峠という言葉が生まれたそうです。

 また、山神を礼拝するときに、昔のひとたちは立ったままでは失礼なので、必ずしゃがんで合掌したと思われます。この、『シャガム』という言葉もサオガム(サ拝む)→シャオガム→シャガムと、『サ神』を礼拝する姿勢から生まれた言葉と言われます。

  「山の神から田の神へ」

 このようなわけで、『サ神』は山神なので、通常は人気のない山頂に近い神域に住んでいて、みだりに一般庶民は近寄れなかったのです。そこで、その境界線をサカイ(境) そこに、具体的に設けられた垣根がさく(柵)といわれました。

  「農業の開始」

 日本の古代人たちが、本格的に農業を営むようになりますと、日本各地の農村では、豊作祈願のために、『サ神』に山から下りていただく月をサツキ、つまり、昔から田植えの行われる五月(サツキ)の呼び名というわけです。

 5月の田植えの時期にサオトメ(早乙女・五月女)が、サナエ(早苗)を植える。田の神のことを、四国地方では 『サバイ)』中国地方では『サンバイ)』とか 『サンバエ)』鹿児島県では『サツどん』(どんは殿の意)といいます。

田植え月の五月、『サ神』が降りてくる意味の『サオリ』に対して七月に昇天することをサの神が昇る、サ昇りが→『サナブリ』といいます。田植えの終わりの行事です。

  「サ神へのお供えもの」

 古代日本人は、サ神様にいろいろ祈願するために只では申しわけありませんから、まず、くさぐさのお供え物をしました。その、最も欠かせない重要なものが『サケ』(酒)です。神前に ササゲル(捧げる)意味があります。サカナ(魚)やサケ菜(山のもの、野のもの)も同じ、サカナ(肴)、サ神様に、お供えするものの意味です。

  「サ神とサクラ」

 サ神について説明しましたが、ここでサクラの花との関係を話します。

 民俗学では、サツキ(五月)のサ、サナエ(早苗)の サ、サオトメ(早乙女)のサは、すべて稲田の神霊を指すと解されています。田植えじまいに行う行事が、サアガリサノボリ、訛ってサナブリといわれるのも、田の神が田から山にあがり昇天する祭りとしての行事だからと考えられています。

 田植えは、農事である以上に、サ神の祭りを中心にした神事なのです。
そうした、田植え月である五月に際立って現れるサという言葉がサクラのサと通じるのではないかと思われます。

 クラとは、古語で、神霊が依り鎮まる座を意味したクラで、イワクラ(磐座)やタカミクラ(高御座)などの例があります。カマクラも神クラの変訛です。あの雪室そのものが、水神などの座とされてきました。

 サ神様の依る、 サクラ(サ座・桜)の木の下でサ神様にサケ(酒)やサカナ(サケ菜・肴・魚)をササゲテ(捧げて)オサガリを、いただくわけです。

 これで、 サクラ(桜)の木の下でサケ(酒)を飲み、ごちそうを食べる理由が、解りましたか?

  「芝居とサ神」

 神前にお供え物をしただけでは物足りなく、少しでもサ神に喜んでいただくために、
歌をうたったり、踊ったり、その他のお神楽も催しましたが、こうした奉納舞などを見学していただく『サ神』の貴賓席が実はサジキ(桟敷)であり庶民は地面の芝のところで見ていたので、『芝居』の語が生まれました。

 このようにサクラと芝居の関係があったのです。今ではサクラの下での宴会のみが盛んに行われていますが、もとは古代日本から延々と受け継がれてきた信仰心から来ている事なのです。サクラの花を見ながら、古代日本の心を想い巡らせて見ませんか。

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