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 公演のエピソードから稽古日記、演劇雑学までリブの今をお伝えします

VOL.159 2004年大忘年会  2004年12月26日(日)掲載

今年も恒例の大忘年会(望年会)が千葉県飯岡町の国民宿舎飯岡荘で開催された。参加者はちょっと寂しく11人。しかし、少ないながらも大いに盛り上がる忘年会になった。

 

代表挨拶に始まり、食事、歓談はお決まりのこととして、次に用意してあったのが、早口言葉トーナメント。優勝者には豪華な景品付ということで、みんな張り切ってスタート。早口言葉はお手の物と行きそうだが、例題が難しくいい所までいくがあえなく敗退。

そんな中でも、ベテラン勢は緊張しながらも必死に食い付いて行き、最終決定戦になる。はたして、優勝者は・・・

ここで、例年のビンゴ大会になるのだが、メンバーが揃わないので時間を遅らせ部屋に移ってからスタートした。
リブのビンゴ大会は、一人1000円相当の品物を持ち寄って景品にする。それぞれ、頭を絞って考えてくるので何が当たるのか分からない。中には、何?と思うもの、どこで仕入れたものか不明なもの、実用品からおもちゃまで色とりどりの景品になる。

いよいよ、ビンゴ大会のスタート。そして、当たった景品を持って満足顔のスナップショット。

  

  

  

 


次の日は朝から快晴になり、飯岡荘前の海岸を散歩。逆光の中にたたずむリブメン。青春映画のように、海に向かって叫ぶ者は・・・

若干1名いた。・・・・・・・

その後は、飯岡灯台まで車で移動、そこから、九十九里を南下開始。当ても無くひたすら走る。どこへ行くのか誰もわからない内に白子に到着。

ホッとしたらお腹が空いてきたので、どこか美味そうな店はないか探しながら車は走る。すると、小さなイタリアンの店の看板を発見。ひっそりとたたずむ店ながら、美味いスパゲティを食べることが出来た。

そして、お腹いっぱいにして2004年忘年会は終了となった。

 

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VOL.158 平台、箱馬、開き足  2004年10月8日(金)掲載
舞台の装置で重要なものに「平台【ひらだい】」がある。これは、舞台の床を高くしたり、段差を付けるために使う台である。高さは4寸(12p)ほどで、大きさは基準として3尺X6尺(90pX180p)がある。他に3尺X3尺(90pX90p)、4尺X6尺(120pX180p)、6尺X6尺(180pX180p)などがある。これらは、「さぶろく」「さんさん」「しろく」「ろくろく」とも呼ばれる。尺は日本の家屋を建てるときの寸法単位で、「さぶろく」とは畳一枚の大きさのことである。現代はメートル法が主流となっているが、日本家屋、特に木造建築はほとんどが、尺貫法を今も使っている。この畳一枚のサイズを覚えると舞台装置を仕込むのも、位置決めなどが簡単になる。窓の位置、ドアの位置、押入なども全て、畳のサイズが基準になるので家に和室があれば、大きさの感覚をたたき込んでほしい。

平台はもう一つ、「二重」という呼び方をする人もいる。古くから芝居に関わっている方に多いと思うが、この二重とは歌舞伎の舞台で、本来の舞台面からさらに高くするために、平台を並べる。そして舞台面が二重になることから平台を「二重」と呼ぶようになる。

平台の高さは4寸(12p)ほどしかないので、更に高くするときは、箱馬、開き足などを使う。箱馬は写真(リブ所有の手作り品でサイズが会館のものと若干違う)のような木で作った箱である。これを、いくつか並べて平台を高くする。

更に高くするには箱馬を重ねる方法もあるが、危険にもなるため、開き足を使って高くする。これの写真はないが、横から見るとA型に開く木製の台で、2尺(60p)、3尺(90p)の高さがある。

これらのものを使い舞台に高低差を付けるわけだが、取り扱いには十分注意をしたい。舞台監督はこれらの扱いに熟知していなければ事故の危険性が常にある。事故は意外なところに潜んでいるのである。

注意をして使えば、これほど舞台の裏で重宝なものはない。これかも大いに活躍して頂こう。
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VOL.157 「ちゃんとした道」装置作り  2004年9月26日(日)掲載
「ちゃんとした道」の稽古が進む中、9月23日の今日は装置作りの日に当てた。この芝居では初の装置作りになる。まずは、公園の木と垣根作りに取り掛かる。この他に、ベンチと百葉箱が必要になるが、ベンチは既製品を使い(と言うか、前回の見果てぬ夢の使い回しだが・・・)、百葉箱は手間が掛かりそうなので後日に作ることにする。

さて、公園にある一本の木をどうするか。かなり存在感のある木なので本物の木を持ってくる訳にもいかない。こんな時は舞台上では、木らしく見えるようにいかに簡単に作るかを考える。お金が掛かっても作ることは出来ない。安く簡単に見栄えのする木を作る。さあ、どうしたものかと金を使えないので頭を使う。色々悩むがこれもまた楽しい。考えた末に、ベニヤ板をベースに新聞紙を丸めて半円柱を作る。新聞紙で木に見えるのかというと、かなりらしくなる。紙は元々木だったので、ここで再び木に戻ってもらう訳である。

丸めた新聞紙を束ねて、ガムテープでベニヤに固定する。その回りをさらに固く丸めた新聞紙を貼り付けていく。そのままでは、新聞紙色だが傍目にはらしくなってきた。ここに、ペンキの茶色で色を塗る。一色では立体感がないので、黒や赤を混ぜながらムラを付けていく。これだけで、かなり木に見えると思う。舞台にセットして照明を当てると本物以上に、木に見える。と、思う・・。

次に、垣根を作ろう。この垣根も本物を使うとちょっと大変なことになる。これも、木なので取扱が難しい。そこで、カキワリで作ることにする。カキワリとは、絵である。ベニヤ板にペンキで垣根に見えるように葉っぱの絵を描いていく。立体には作らないで、平面状のまさしく絵である。これでは安っぽくなってしまうように思えるだろうが、実際の舞台にセットすると、立体的に見えるようになる。コツとしては、あまり細かく描かないこと。細かく描いても舞台上では意味が無い。逆に立体感の無いモノになってしまう。

こうして、らしく作った偽物を舞台にセットしていく事になるが、これは公演の当日の仕事になる。

しかし、セットしただけではこうして作った装置は生きてこない。生かすためには照明が重要になってくる。照明の当て方で、装置を立体的に見せる事が出来る。どうなるのかは公演を見て頂きたいが、これが舞台マジックとでも言えるものである。役者と装置と照明効果で偽物が本物以上にらしく見えてくる。

らしく見えた時に、その舞台は心に残る舞台になる。
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VOL.156 「ちゃんとした道」稽古日記  2004年9月17日(金)掲載
ちゃんとした道の稽古も一歩一歩、台詞が役者のモノになってきた。全ての台詞を覚えるまではもう少し時間が掛かりそうだが、良い場面は良い感じに台詞が流れそうになる。

上下の出入りに合わせた動きは確定。装置も図面上では完成しているが、稽古場は公共の公民館等を使用しているので、装置を置くことが出来ない。今回は駅前公園の設定であるが、見せるために段差を付けてある。この段差は平台と箱馬を組み合わせて(平台、箱馬については後日解説)作るのだが、普段の稽古では組立てる事が出来ない。他に、ベンチ、百葉箱、木、垣根、階段などがある。

そのためバミリといって、テープで床に装置の大きさをマーキングする。実際には段差があるところが、テープでの印でしかない。ここで問題が起こる。役者の立ち位置を決めてあるが、演技に熱が入ってくるとバミリの位置を無視してしまう。自分が今どこに立っているのか、意識がなくなってしまい段差を跨いで立っている状態になってしまう。

役者に罪は無いのだが、ここが決まらないと演技エリアが分からなくなり、実際に装置を組立てた時に芝居が成立しなくなってしまう。稽古の時から装置を組立て、そこで演技が出来れば一番良いのだが自前の稽古場が無くてはどうすることも出来ない。

(他の劇団は稽古場の確保はどうしているのだろうか。稽古場紹介と題してメールを頂きたいが、如何なモノか。)

立ち位置を決めると同時に、役者には役作りという仕事がある。それぞれの役について本を深く読み、自分の役柄はどんな人間なのか探っていくことになる。途中で性格が二転三転しては見ているお客が落ち着かない。「あんたは一体誰なんだ?」とツッコミが入っては、伝えたいメッセージも伝わらない。

しかし、この役作りなかなか大変な作業で役者陣は頭を抱えながら本と向き合っている。

ここを乗り越え、役にハマリ出すと人間として活き活きとしてくるから見ていて面白くなる。面白いから役者も乗れる。

しかし、今の稽古段階ではまだそこまでは行ってないので、悪しからず。

役者の稽古は順調?に進んでいるが、スタッフの仕事も照明、音響、装置、衣装、小道具、PR、制作とこれから山ほどある。役者の稽古に合わせて作業を進めることになるが、どこのアマチュア劇団も事情は同じだろう、役者兼スタッフである。装置作りはメンバーフル稼働で仕上げる。スケジュール合せが大変。しかし、徐々に芝居の全容が見えてくるのは面白くあり、楽しみである。
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VOL.155 「戯曲」  2004年9月6日(月)掲載
芝居をつくるには戯曲が無くては、始めることが出来ない。

この戯曲とは、辞典によると

「文学と演劇の一形式。対話体の文(せりふ)を主要部分とし,ト書などの指定を付け加え,おもに舞台上演を目的とするもの。脚本・台本の意にも用いられるが,一般に脚本・台本に比べて文学性が高く,芸術的に独立した性格をもつ。

語源的には漢語の雑戯の歌曲の略とされ,元来音曲を中心とするものであったが,能,狂言や人形浄瑠璃の展開に伴って文学的にも整備され,歌舞伎に至って独自の戯曲形式に発展したが,それを文学作品として読むという習慣は定着しなかった。

今日では,歌舞伎や商業演劇・映画の台本を脚本といい,人形浄瑠璃や新劇などでは戯曲と呼ぶのが普通。西洋には〈戯曲〉という概念はなく,近代日本独特のものである。

西洋においては演劇が文学的であることは当然のこととみなされていたが,上演台本が文学でもあるという〈発見〉がこの語を定着させることになったと思われる。

ドラマはギリシア語のドラン(行動する)を語源とするとされ,祭式と関連するものであったが,前4世紀ごろの悲劇競演に伴って文学的に完成。理論的にもアリストテレスの《詩学》において叙事詩,抒情詩に対立する文学ジャンルに定着したが,演劇そのものをさす語といえる。」

となっている。

簡単に言うと、一つの物語に添った会話を活字に記録したモノとなるだろうか。小説やエッセイなどとは文章の書き方が違い、登場人物が示され、その下に台詞が書き込まれている。

台詞の間にあるト書きは、台詞だけでは表現できない感情の説明や、舞台の説明、小道具の説明というように補助的な文章として書かれている。

慣れないと、非常に読みづらく感じるだろうが、これを読みこなさなくては演劇人になることは出来ない。

「戯曲」は「台本」「脚本」「シナリオ」とも呼ばれる。「シナリオ」は主に映画の世界で使われるのが一般的か。
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VOL.154 「ちゃんとした道」半立ち  2004年8月12日(木)掲載
秋公演の「ちゃんとした道」も読み合わせが終わり半立ちの稽古に入った。

本来なら読み合わせの時間をもう少し取りたい所だが、この芝居出掃けが多い。誰が何処から(と言っても、上下の2カ所の出入りだが)来るのか、読みだけではイメージが湧かない。

さらに、小見川の会館は会議室を使うため上下の移動が出来ない。掃ける方向を間違えるとアウトである。着替えの場所までしっかり考えなくては、役者は落ち着かない。

そこで、読み合わせを早々に切り上げて、半立ちに入る。この半立ち、もちろん演劇用語である。

台詞が入らない内は本を持って台詞言っている。この状態では写真のように片手に本を持っているため、演技として両手が使えない。立ち位置も不安定、手探りな状態であり、赤ちゃんがやっと伝い歩きを始めたばかりと同じである。

完全には立って演技をしていないので、半立ちという。台詞が入って、一人前となる。
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VOL.153 蝉の抜け殻  2004年8月2日(月)掲載
2004年8月1日、「平原演劇祭」と同日である。炎天下の中、宮代町まで来た麗舞メンバーは、公演が始まるまでの1時間ほど、蝉の抜け殻集めに集中した。

なぜ、宮代まで来て蝉の抜け殻なのか。宮代でなくてはという理由はないが、たまたま、そこに蝉の抜け殻があった。というだけである。

この蝉の抜け殻は秋の麗舞本公演で必要な小道具となる。芝居と蝉の抜け殻の関係はと聞かれると、当日のお楽しみにしたい。

暑くはあったが、久しぶりに童心に返り、蝉の抜け殻集めに集中するのもいい。かなりの量が欲しかったので、集めるのも大変かと思っていたが、あるある、簡単に見つかる。5人で探すとビニール袋にイッパイになり、取りあえず本日の収穫は終了。

只今、全国から蝉の抜け殻を募集中!ということは無い。
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VOL.152 平原演劇祭  2004年8月2日(月)掲載
2004年8月1日、埼玉県宮代町にて開催された「平原演劇祭」。麗舞の公演にも来て頂いている高野竜氏企画の演劇祭であり、今年で3年目になる。

右の写真の民家が当日の会場である。この民家、宮代町が190年前に立てられたものを移築・保存している文化財である。

この和室が舞台となり、客席となる。ホールでの開催とは全く違う雰囲気の中、四つの劇団が個性的な芝居を公演した。その一つとして、麗舞も参加した。麗舞代表として、大野修司が語る「苫船」で幕が上がり、宮代演劇パーティー、劇団12、桃と安酒と続いた。

真夏の太陽が照りつける中、会場内は涼しい風が通り、外は蝉の大合唱となり、日本の夏を思いっきり演出していた。その中で繰り広げられた演劇は、同じ空間ながらそれぞれの劇団が、上手く使いこなし、全く違う空間へと移り変わって行った。


参照HP ■1■ ■2■ ■3■
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VOL.151 素読み  2004年7月24日(土)掲載
リブでは特にやってはいないが、読み合わせの前に「素読み」といものがある。この素読みとは、読み合わせの初期段階で、感情も間も考えずにただ活字を声に出して読むこと、つまり、棒読みをする。この素読みの期間は余計な事を考えずに、戯曲に慣れる時間として行われている。

しかし、この素読みは気楽に戯曲に触れることが出来るが、あまり長く繰り返してはいけない。

なぜか?

素読みの弊害として、あまり時間を掛け過ぎると、素読みに慣れてしまい読み合わせに入ってもこの時の癖がなかなか抜けなくなってしまう。ある本によると、素読みが大好きなプロの演出家がいて、いつまでも素読みから抜け出さないでいたら、まさに癖になってしまいその後の稽古で苦労したという事が書かれている。
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VOL.150 「ちゃんとした道」稽古日記  2004年7月19日(月)掲載
先週から読み合わせに入っている。読み合わせとは、自分の役で本を持って読む事。まだ立ってはいないので、ひたすら活字を追い掛けながら読んでいる。台詞の言いまわし、相手への掛け方、間など全てお互い探りながら、台詞の落ち着き場所を探している状態。ここで、正確に読まないと後で修正が大変になる。

今日は役者が全て揃っての、読み合わせとなり全体のイメージがおぼろげながら見えだした。笑える所は更に面白く、考えさせる所は更に深くとこれからの稽古の進行が楽しみ。そして録音。この録音は役者が台詞を覚えるために、読み合わせをそのまま録音し、稽古以外の時間で繰り返し聞いて台詞を覚える為に使う。

まだまだ稽古は始まったばかり、どんな展開があるのか、どんなアイデアが出てくるか分からないが役者陣、スタッフ陣とも気合いが入り稽古進行中。
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VOL.149 本公演  2004年7月10日(土)掲載
ついに秋公演の作品が決まった。小川美玲作「ちゃんとした道」。実は、他に候補作品があったのだが上演許可の関係でボツになる。リブカラーとしては、こちらの本がお気に入りだったが、上演許可が降りない事にはあきらめるしかない。第二候補の「ちゃんとした道」になった次第。第二候補ながらも、読み進めていくとかなり面白い。笑わせてくれる。役者の力量が試させられそうな作品。舞台装置も駅前公演の設定で、特別凝った表現は無いのだが一つだけ手強そうなものがあり、それが「百葉箱」である。何とか、作ってしまおうかと思案中であるが果たしてどうなることか。
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VOL.148 上手・下手  2004年6月11日(金)掲載
一般に上手・下手というと、「じょうず」と「へた」の意味で使われるが、これが舞台用語になると全く意味が違う。上手は「かみて」と読み、意味は客席から舞台に向かって右手側の場所を指す言葉になる。下手は「しもて」であり、舞台に向かって左手側の場所になる。芝居の脚本には、「下手より登場」や「上手に掃ける」などと書いてある。掃けるも舞台用語で退場の意味がある。初めて脚本を読む方は、くれぐれも「下手に登場する」を「へたに登場する」と読まないように。これでは、大根役者の大量生産になってしまう。この「大根」は下手な役者の代名詞として有名。
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VOL.147 会議  2004年6月6日(日)掲載
今月で2004年も半分が過ぎようとしている。
リブの活動もこれからが本公演に向けて動き出す時。未だに、本公演用の戯曲が決まっていないため、本日会議が開かれた。各自気に入った戯曲を持ち寄り検討。何本かに絞り込みまでは行ったが、決定にはならなかった。最終決定は2週間後の土曜日と言うことになり、それまで読んでみたい。公演日は11月27、28日で決定済みなので、2週間の検討がタイムリミット。

他の、検討事項として鹿嶋市立中央図書館での朗読会が今年も、8月と10月に開催。

また、12月には依頼公演で子供向けのイベント開催が決まるなど、リブメンバーにとっては充実した後半になりそう。
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